当社は、平安時代、福山が藤原家の荘園として栄えていた当時(天永年間、西暦1110年頃) 須佐之男命を祀る「牛頭天王社(ごづてんのうしゃ)」として、今の福山市木之庄町に建立されており(牛頭とは須佐之男命の呼称)、

 建武元年(西暦1334年)、

今の地に伊邪那岐命を併祀の上遷座、当時の集落の中心地、吉津、木之庄、本庄、奈良津、千田各郷一帯の産土神 「秋津洲神社(あきつしまじんじゃ)」と改称された

旧福山最古の神社であります。

 

 降って、初代福山藩主 水野勝成公,福山城築城(元和5年、西暦1619年)に際しては、城郭の鬼門・艮(うしとら)の方位(北東)を鎮める守護神「秋津艮大明神(あきつうしとらだいみょうじん)]と称えられ、

 天和3年(西暦1683年)

水野勝種公の緒社殿の寄進を始め、度々造営、修復がなされ、御社頭ますます賑盛を極め、

 明治以降は現在の御社名「艮神社」となり、北吉津町を始め38町、約5000戸の氏神、又広く福山地方一円の鬼門守護神、厄除神として崇敬されております。

伊邪那岐命が黄泉の国より帰還し、禊(みそぎ)を行った時に、姉:天照大神、兄:月読命と共に生まれた神様です。

出雲においてはヤマタノオロチを退治し、その尾から出た剣は、後に草薙の剣として三種の一つと数えられるようになります。

また、この備後国の風土記逸文には蘇民将来という名の民を、茅の輪を持たせる事で疫病より救ったという、今日全国で行われている夏越大祓の茅の輪くぐりの元となった神話が残されています。

その力強さから、罪・穢・災・厄などを祓い清める厄除けの神様としておまつりされています。

女性の神様である伊邪那美命(イザナミノミコト)とともに、まだ泥のようであった地上を固め国づくりを行った神様です。

また、初めて結婚をした神様でもあり、夫婦で数多くの神々(お子様)をもうけられております。